犬の目の下がいつも濡れている、白い毛が赤茶色になっている――。
いわゆる「涙やけ」に悩み、毎日何度も涙を拭いている飼い主さんは少なくありません。
犬の涙やけは、単純に「涙が多い体質」だけで起こるものではありません。
涙を作りすぎている場合だけでなく、涙を鼻へうまく流せない、眼の表面に涙を保持できないなど、複数の原因があります。
そして原因によっては、治療や成長によって改善する犬もいます。
一方、十分に検査や治療をしても改善せず、「これ以上できることはないので、毎日拭いてください」と説明される犬がいることも事実です。
この記事では、犬の涙やけ・流涙症について、
「現在の獣医学で比較的よく分かっていること」
「獣医師が実際の診療で経験していること」
「まだ科学的な検証が十分ではないこと」
をできるだけ区別しながら解説します。
獣医学では、臨床家が日常診療の中で繰り返し経験していても、研究として十分に検証されていないために「科学的に証明された」とは書けないことがあります。
そのため本記事では、研究結果と臨床経験を同じものとして扱わず、それぞれの位置づけが分かるように説明します。
また、一般的な治療を行っても改善しない持続性の流涙・涙やけに対して行われている「涙やけの手術」についても、102頭の技術報告と、それ以前から蓄積されている臨床経験を分けながら紹介します。
- 涙やけは病名ではなく、涙があふれ続けた結果として起こる被毛の変色です
- 流涙症は「涙が増える・排出できない・保持できない」の3方向から考えます
- 突然片目だけ涙が増えたり、眼を痛がったりする場合は早めの受診が必要です
- 子犬では、原因によって成長とともに自然に改善することがあります
- フード変更と同時期に改善する犬も臨床では経験しますが、因果関係はまだ確立されていません
- 標準的な治療で改善しない持続性流涙には、研究途上の外科的選択肢もあります
- 新しい手術では、論文だけでなく術者の経験や直接的な技術指導も重要です
犬の涙やけは治る?まず結論
犬の涙やけは、原因によっては治療や成長によって改善する可能性があります。
ただし、「涙やけ」という一つの病気があるわけではありません。
涙が眼からあふれ続け、その涙によって眼の周囲の被毛が濡れ、赤茶色~茶褐色に変色した状態を一般に「涙やけ」と呼びます。
そのため、
涙やけを治したいときに最も重要なのは、「茶色くなった毛をどうきれいにするか」ではなく、「なぜ涙が眼からあふれているのか」を調べることです。
睫毛や被毛、涙点、鼻涙管、眼瞼などに治療可能な原因が見つかる犬もいます。
一方で、十分に評価しても明確な原因が見つからない犬や、治療可能な原因に対応しても流涙が残る犬もいます。
犬の流涙症・涙やけとは?
「流涙症(りゅうるいしょう)」とは、涙が眼瞼からあふれて顔へ流れ落ちている状態を表す言葉です。
病名そのものではありません。
通常、涙は眼の表面を潤したあと、目頭側にある涙点から涙小管、涙嚢、鼻涙管を通って鼻腔へ排出されます。
このバランスが崩れることで、涙が眼の外へあふれます。
- 目頭や下まぶたから涙があふれる
- 眼の周囲の毛がいつも濡れている
- 眼周囲の毛が赤茶色~茶褐色になる
- 涙で濡れた皮膚が赤くなる
- 原因によっては目ヤニや充血を伴う
涙やけで毛が赤茶色になるのはなぜ?
涙やけでは通常、涙そのものが赤茶色なのではなく、涙で濡れ続けた被毛が変色しています。
涙液に含まれる成分の付着や変化などが関係すると考えられますが、被毛が変色する詳しいメカニズムがすべて明確になっているわけではありません。
そのため、「涙やけ=特定の一つの物質が原因」と単純化して考えるのは適切ではありません。
獣医師は犬の涙をどう見る?
獣医師は、涙の量だけではなく「左右差」「時間経過」「痛み」を特に重視します。
同じ「涙が出る」という症状でも、以前から両目に涙やけがある犬と、今日突然片目だけ涙を流し始めた犬では、考える病気も緊急度も異なります。
片目だけ?それとも両目?
突然片目だけ涙が増えた場合は、その眼に新しい異常が起きていないか確認する必要があります。
例えば、
- 異物
- 角膜の傷
- 睫毛による刺激
- 炎症
などです。
一方、以前から両目に同程度の流涙があり、犬自身が眼を痛がっていない場合には、涙点、鼻涙管、眼瞼、被毛、涙液保持機能なども含めて評価します。
急に始まった?以前から続いている?
- 急に涙が増えた:異物、角膜障害、炎症、疼痛性眼疾患などを優先して確認
- 以前から慢性的に続いている:涙液排泄路、眼瞼、被毛、涙液保持機能なども評価
- 一度改善した後に再び悪化した:複数の原因や再発性の問題を検討
「痛そうかどうか」は特に重要
目をしょぼしょぼさせたり頻繁にこすったりしている場合は、単純な涙やけとして様子を見ない方がよいでしょう。
特に、
- 目を開けにくそうにする
- 強くしょぼしょぼする
- 前足で目をこする
- 顔を床や家具にこすりつける
- 急に強く充血した
といった症状がある場合には、角膜潰瘍、緑内障、ぶどう膜炎など、痛みを伴う眼疾患が隠れていないかを確認します。
「以前から涙やけがある」のと、「突然痛そうにして涙を流している」のは、医学的にはまったく違う状況です。
犬の涙やけ・流涙症の原因は?
「涙があふれている=涙を作りすぎている」とは限りません。
獣医学的には、大きく3方向から考えると理解しやすくなります。
- ① 涙液の産生量が増えている
- ② 涙液を排出する経路に異常がある
- ③ 眼の表面で涙を保持する機能が低下している
① 涙液の産生量が増えている
眼の表面に刺激や痛みがあると、反射的に涙が増えることがあります。
例えば、
- 睫毛乱生
- 睫毛重生
- 異所性睫毛
- 被毛の眼表面への接触
- 異物
- 角膜潰瘍などの疼痛性眼疾患
などです。
このタイプでは、涙を直接減らすのではなく、涙を増やしている原因を治療することが重要です。
② 涙液を排出する経路に異常がある
正常な涙は、
涙点 → 涙小管 → 涙嚢 → 鼻涙管 → 鼻腔
という経路で排出されます。
この途中に異常があると、正常量の涙でも眼からあふれます。
- 涙点閉鎖症(無孔涙点)
- 小涙点症
- 涙嚢炎
- 鼻涙管閉塞
無孔涙点とは鼻涙管そのものが閉じている状態ではなく、涙の入口となる涙点が開口していない状態です。
③ 眼の表面で涙を保持できない
涙を作る量や鼻涙管に大きな異常がなくても、眼表面に涙を適切に保持できないことで流涙する場合があります。
例えば、目頭にある涙丘の毛が眼球表面に接触すると、涙が毛を伝って外へ流れます。
また、マイボーム腺は涙液の油分を分泌しています。
マイボーム腺機能が低下して油層が不足すると、涙を眼表面に保持しにくくなる場合があります。
さらに、下まぶたの目頭側が内側へ入り込む下眼瞼内側の内反も流涙に関係します。
犬の流涙症は「涙の作りすぎ」だけではなく、作る量・排出する経路・保持する機能の3方向から考えることが重要です。
また、一頭の犬に複数の原因が同時に存在することもあります。
動物病院ではどのような検査をする?
まず、治療可能な原因と、痛みを伴う眼疾患が隠れていないかを確認します。
診察では、
- 眼瞼の形
- 睫毛
- 眼周囲の被毛
- 結膜
- 角膜
- 涙点の位置・形・大きさ
などを観察します。
必要に応じて、
- フルオレセイン染色検査:角膜の傷などを確認
- 涙液量の検査:涙液産生量を評価
- 眼圧検査:緑内障などを評価
- 涙点の確認
- 鼻涙管など涙液排泄経路の通過性の確認
などを組み合わせます。
流涙症では一つの異常だけですべてを説明できないケースもあります。
そのため、
原因と思われる問題を一つ治療し、その後に流涙がどの程度改善したかを再評価することも重要です。
犬の涙やけ・流涙症の治療法は?
基本は「涙を止める治療」ではなく、流涙を起こしている原因を治療することです。
睫毛や被毛が原因の場合
睫毛乱生や睫毛重生などによって毛が角膜や結膜へ接触している場合には、原因となる毛を除去して改善するかを確認します。
抜いた毛は再び生えることがあり、繰り返し処置が必要になるケースもあります。
異所性睫毛では角膜潰瘍を起こす可能性があり、状態によっては全身麻酔下で毛根を含めて外科的に切除します。
涙丘の毛が眼表面に接触している場合にも、原因となる毛の処置によって流涙が改善することがあります。
涙点の異常が原因の場合
生まれつき涙点が開口していない涙点閉鎖症では、涙点を形成する外科的治療が検討されます。
小涙点症では、細い器具で涙点や涙小管を拡張する処置を行うことがあります。
涙嚢炎が原因の場合
涙嚢炎では、涙液排泄路を生理食塩液などで洗浄し、状態に応じて抗菌薬や抗炎症薬などを使用します。
鼻涙管閉塞が原因の場合
鼻涙管が閉塞している場合には、涙点から生理食塩液などを注入して涙液排泄路を洗浄します。
犬の状態によっては鎮静や全身麻酔が必要になる場合があります。
マイボーム腺機能不全が原因の場合
マイボーム腺機能不全では、温かいタオルなどをまぶたに当てる「温罨法(おんあんぽう)」を行うことがあります。
固くなった脂質を溶けやすくし、マイボーム腺からの分泌を促すことが目的です。
状態に応じて眼瞼縁の清掃や薬による治療を行う場合もあります。
下眼瞼内側の内反が原因の場合
下まぶたの目頭側が内側へ入り込んでいる場合には、眼瞼の形を外科的に矯正することがあります。
ただし、
流涙があるという理由だけで必ず手術するわけではありません。
内反によって角膜潰瘍を繰り返している場合などは手術を積極的に検討しますが、軽い流涙だけの場合には、他の原因や年齢、今後の成長も含めて判断します。
子犬の涙やけは成長すれば自然に治る?
原因によっては、子犬の涙やけが成長とともに自然に改善することがあります。
特に小型犬では、幼齢期に目頭側の下まぶたが軽く内側へ入り込む下眼瞼内側の内反がみられることがあります。
監修獣医師の臨床経験では、このような軽度の眼瞼内反に伴う流涙が、成長とともに軽減・消失する症例を経験します。
成長期には、眼球、眼瞼、顔周囲がそれぞれ変化します。
その相対的な形態のバランスが変わることで、幼齢期には内側へ入り込んでいた眼瞼が成長後には問題にならなくなり、流涙が改善することがあると臨床的には考えています。
ただし、この具体的な機序を直接証明する研究は十分ではありません。
子犬の軽度な眼瞼内反に伴う流涙では、眼表面に障害がなければ、成長を見ながら経過観察できる場合があります。
ただし、すべての子犬の涙やけが自然に治るわけではありません。
例えば、
- 強い眼瞼内反
- 睫毛による刺激
- 涙点の異常
- 鼻涙管の異常
などでは、自然改善しない場合があります。
また、
- 目をしょぼしょぼする
- 目を頻繁にこする
- 角膜に傷がある
- 強い充血がある
場合には、単純に成長を待つことは勧められません。
「子犬だから様子を見る」のではなく、「成長を待てる状態なのか」を眼の状態から判断することが重要です。
フードを変えると犬の涙やけは治る?
現時点では、「特定のフードへ変更すれば犬の流涙症や涙やけが治る」という明確な科学的根拠は確立されていません。
一方、監修獣医師の臨床経験では、フードを変更した時期と重なるように流涙や涙やけが明らかに改善する犬を経験することがあります。
そのため、「フードは涙やけとまったく無関係」と断定することも、実際の臨床経験とは一致しません。
ただし、
- 成長による自然改善
- 季節の変化
- 被毛の変化
- 眼周囲のケア方法の変更
- その他の生活環境の変化
などが同時に起きている可能性があります。
そのため、
「フードを変えた後に改善した」ことと、「フードを変えたから改善したと証明された」ことは分けて考える必要があります。
食事による眼周囲の反応や、食事中の脂質成分がマイボーム腺から分泌される脂質に影響する可能性なども考えられますが、現時点では十分に解明されていません。
「フードは関係ない」と言い切ることも、「このフードなら涙やけが治る」と言い切ることも、現在の医学的根拠からは適切ではありません。
フード変更を試すことは選択肢の一つですが、フードだけに原因を求める前に、睫毛、涙点、鼻涙管、眼瞼などに治療可能な問題がないか確認することをおすすめします。
原因が分からない「特発性流涙症」とは?
十分に評価しても流涙を説明できる明確な原因が見つからない場合、「特発性流涙症」と考えられることがあります。
また、考えられる原因に対して治療を行っても、流涙が十分に改善しない犬もいます。
このような犬では、
- 涙をこまめに拭く
- 眼周囲を清潔に保つ
- 被毛を管理する
- 涙による皮膚炎を防ぐ
といった日常的なケアが中心になることがあります。
涙やけを見た目の問題として許容し、日常的なケアだけを続けることも合理的な選択です。
一方、毎日何度も眼周囲を拭く行為を何年間も続けることが、飼い主や犬にとって大きな負担になるケースもあります。
「原因が分からないので諦める」「一生拭き続ける」以外に何かできないのか――これは、持続性流涙の診療に残されている課題の一つです。
犬の涙やけは手術で治せる?
手術後に流涙や涙やけが改善した犬は多数報告されています。ただし、現時点では有効性と長期安全性が確立した標準治療ではありません。
YouTubeやSNS、トリマーなどを通じて、
「涙やけが手術できれいになった」
という話を聞いたことがある飼い主さんもいるかもしれません。
その一つが、持続性の流涙・涙やけに対して行われている第三眼瞼腺組織の部分切除術です。
2026年、この手術を受けた犬102頭の術後経過をまとめた技術報告が公開されました。
本記事の監修獣医師は、この技術報告の共著者として、研究デザイン、データ整理、写真評価、統計解析、報告書作成に関わっています。
ただし、この報告は査読済みの比較試験ではなく、単施設で行われた後ろ向きの技術報告です。
そのため、本記事でも「効果が証明された治療」としてではなく、現在観察されている結果と、まだ分かっていないことを分けて紹介します。
「涙やけの手術」とはどんな手術?
第三眼瞼腺をすべて摘出する手術ではありません。
犬の第三眼瞼には、涙液産生に関わる「第三眼瞼腺」があります。
報告された術式では、第三眼瞼内部にあるT字軟骨を境界として、T字軟骨より眼球側にある、肉眼で確認できる腺組織を切除します。
一方で、
- T字軟骨そのもの
- T字軟骨より眼瞼側に存在する腺組織
は温存します。
つまり、第三眼瞼腺を全部摘出するのではなく、一部の腺組織を温存した部分切除術です。
この手術によって流涙が改善する正確なメカニズムは、まだ十分には解明されていません。
第三眼瞼腺が水性涙液産生に関与しているため、その一部を切除することで涙液の状態が変化し、結果として流涙が減少する可能性があります。
102頭の技術報告ではどんな結果だった?
2023年1月から2026年3月までにこの手術を受けた犬について、診療録や写真を用いて後ろ向きに調査した技術報告があります。
- 診療録上、102頭中91頭(89.2%)で流涙または涙やけの完全消失・改善が記録された
- 術前後の写真を比較できた41頭では、40頭で涙やけの範囲が減少した
- 写真評価では23頭が完全消失、17頭が改善、1頭が変化なしだった
- 写真評価可能な41頭では、完全消失または改善が40頭(97.6%)だった
写真で評価された41頭では、両眼を合計した涙やけ範囲スコアの中央値が、術前6から術後0へ低下しました。
数字としては明瞭な改善傾向が観察されています。
しかし、
89.2%や97.6%という数字を、「この手術の成功率」と解釈することはできません。
なぜ「89.2%成功」と言えない?
手術を受けていない犬との比較がないためです。
さらに、
- 術前検査が全症例で統一されていない
- 術後の評価時期が統一されていない
- 術前後写真がそろっていたのは102頭中41頭
- 写真の撮影条件が統一されていない
- 被毛の長さやグルーミングの影響を完全には除外できない
- 写真評価に使用したスコアは研究独自のもので、妥当性が確立された評価法ではない
といった限界があります。
したがって、
「この手術を受けた犬の多くで、その後に流涙・涙やけの改善が観察された」
とは言えます。
しかし、
「この手術を行ったことが原因で改善したと科学的に証明された」
とはまだ言えません。
102頭すべてが「特発性流涙症」だったわけではない
技術報告の対象となったのは、
- 持続性の流涙、涙やけ、またはその両方がある
- 外観または毎日のケアを飼い主が問題と考えている
- 診察した獣医師が手術を適切と判断した
犬です。
一方、全102頭について、
- Schirmer涙液試験
- フルオレセイン染色
- 涙液膜破壊時間
- 鼻涙管
- マイボーム腺
などが同一のプロトコルで評価されたわけではありません。
したがって、
102頭すべてが「他の原因を十分に除外した特発性流涙症だった」とは判断できません。
現時点では、「特発性流涙症に対して効果が証明された手術」ではなく、「持続性流涙・涙やけに対して研究されている新しい外科的アプローチ」と考えるのが適切です。
102頭より前に手術を受けた犬の経過は?
今回公表された102頭以外にも、この術式が行われてきた臨床経験があります。
2026年に公開された技術報告では、2023年以降に手術を受けた犬を対象として系統的な解析を行っています。
一方、この術式はそれ以前から臨床で行われており、今回の102頭より前に手術を受けた犬についても、その後の経過を診療録や日常診療の中で確認している症例があります。
長期間経過してから再び診察した犬などから得られる情報は、この手術の長期的な経過を考えるうえで重要な臨床経験です。
ただし、
これらの症例は今回公表された102頭の研究データには含まれておらず、現時点では統一された方法で集計・解析された研究結果ではありません。
そのため、本記事では、
102頭の技術報告
一定の基準を設けて診療録や写真を後ろ向きに解析し、公表した研究データです。
それ以前の症例
より長期間の経過を含む診療録や臨床経験がありますが、現時点では統一された研究データとして公表されたものではありません。
臨床経験と科学的に検証された研究結果は、どちらも重要ですが、同じものではありません。本記事では両者を混同しないようにしています。
涙やけ手術で最も注意したいリスクは?
第三眼瞼腺は涙液を作る組織なので、術後の涙液量低下や乾性角結膜炎(KCS、ドライアイ)が重要な懸念です。
102頭の診療録では、
- 新しいKCSの診断
- KCS治療の新規開始
- 追加処置
- 再手術
は記録されていませんでした。
しかし、
「102頭でドライアイが起こらなかった」という意味ではありません。
全症例で術前・術後に同じ方法・同じ時期で涙液量や眼表面を評価していないためです。
軽度または無症候性の涙液量低下、眼表面への影響、将来的な影響については十分に評価できていません。
そのため、この手術の長期的な安全性は現時点では未確立です。
それ以前に手術を受けた犬の長期経過について臨床的な情報は蓄積されていますが、それをもって長期安全性が科学的に証明されたと考えることはできません。
- 現時点では有効性が確立した標準治療ではない
- 手術をしても改善しない可能性がある
- 涙液量が低下する可能性がある
- KCSを含む長期安全性は十分には分かっていない
- まず他の治療可能な原因を評価することが重要
- 術後も涙液量や眼表面を継続して確認することが望ましい
この手術を検討する場合、どの獣医師に相談すればいい?
この手術について十分な経験を持つ獣医師、または経験豊富な獣医師から直接の技術指導を受け、適切な眼科外科トレーニングを受けた獣医師に相談することが重要です。
外科手術では、論文や教科書に記載されている知識だけですべての技術を伝えられるとは限りません。
今回紹介している第三眼瞼腺組織の部分切除術でも、
- どの組織を切除対象と判断するか
- どこまで切除するか
- どの組織を温存するか
- どのように止血するか
など、実際の手術中に術者が判断しなければならない部分があります。
102頭の技術報告でも、これらの判断には術者の臨床経験が関わっていることが明記されています。
また、今回公表された手術はすべて術式を開発した一人の獣医師によって行われており、他の術者が同じ手術を行った場合の再現性、学習過程、安全性についてはまだ十分に評価されていません。
技術報告自体も、文章や模式図、写真だけを手術マニュアルとして使用することを想定しておらず、適切な眼科外科トレーニングと直接的な技術指導・監督が必要であるとしています。
「この手術を知っている獣医師」であることと、「この手術を適切に実施するための経験や指導を受けている獣医師」であることは、必ずしも同じではありません。
この手術を検討する場合には、
- この術式の経験がどの程度あるか
- 経験豊富な術者から直接指導を受けているか
- どのような術前眼科評価を行うか
- どのような基準で手術適応を判断するか
- 術後に涙液量や眼表面をどのようにフォローするか
についても確認するとよいでしょう。
「拭けば管理できるのに、手術する意味はある?」
「手術をしなくても生活できる」ことと、「手術によってQOLを改善する医学的価値がない」ことは同じではありません。
この考え方は、人のLASIK(レーシック)をイメージすると分かりやすいかもしれません。
近視は眼鏡やコンタクトレンズで管理できます。
それでも、
「毎日コンタクトレンズを着ける負担から解放されたい」
「裸眼で生活したい」
という希望から、利益とリスクを理解したうえでLASIKを選択する人がいます。
慢性的な流涙にも、これと似た意思決定の側面があります。
涙をこまめに拭くことで生活することはできます。
しかし、
- 一日に何度も眼周囲を拭かなければならない
- 眼の下が常に濡れている
- 皮膚トラブルが起きる
- 顔を触られることを犬が嫌がる
- そのケアを何年間も続ける必要がある
場合には、犬と飼い主双方のQOLに影響する可能性があります。
共通するのは、「保存的に管理する方法がある中で、日常生活上の負担を減らすために手術を選択する」という考え方です。
ただし、LASIKは長期間にわたり多数の症例が研究され、適応・有効性・合併症について多くのデータが蓄積されている手術です。
一方、本記事で紹介する涙やけの手術は、現時点では科学的検証が十分ではなく、特に長期安全性について不明な点があります。
「LASIKと同程度に確立した治療」という意味ではありません。
では、この涙やけの手術に価値はある?
科学的な証明が十分でないことと、治療として価値がないことは同じではありません。
もちろん、涙やけがある犬すべてに手術を勧めるべきではありません。
まずは、
- 角膜などの疼痛性眼疾患
- 睫毛・被毛
- 涙点
- 鼻涙管
- 眼瞼
- 涙液保持機能
など、治療可能な原因を評価することが先です。
一方、十分に評価・治療しても流涙が改善せず、
「これ以上できる治療はないので、毎日拭いてください」
と言われる犬もいます。
そのような犬で、
- 流涙や日常的なケアが明確な負担になっている
- 飼い主が現状の管理だけでは納得できない
- 手術の効果がまだ確立していないことを理解している
- 涙液量低下やKCSなどのリスクを理解している
- 術後も眼科的な経過観察を継続できる
場合には、
十分なインフォームド・コンセントのもとで検討する価値のある選択肢の一つになり得ると、監修獣医師は考えています。
これは、現在の科学によって「有効性が証明された」という意味ではありません。
「研究として証明されていること」「経験豊富な臨床家が観察していること」「この犬と飼い主にとっての治療価値」を分けて考えることが重要です。
家庭でできる犬の涙やけ対策は?
眼周囲を清潔に保つことは重要ですが、涙を拭くこと自体は流涙症の原因治療ではありません。
涙で濡れている部分は、柔らかく清潔な布やタオルで優しく拭き取ります。
強くこするのではなく、優しく押さえるように水分を取ります。
また、眼周囲の毛が長い場合には、眼球へ接触しないよう適切にトリミングします。
ただし、目頭の奥など眼球に近い部分を、自宅でハサミやピンセットを使って無理に処置するのは危険です。
涙を毎日きれいに拭くことと、流涙症を治療することは別です。慢性的に涙があふれている場合には、一度原因を評価することをおすすめします。
涙やけが多い犬種は?
流涙症は、トイ・プードルやマルチーズなどの小型犬で比較的よくみられます。
流涙の起こりやすさには、
- 眼瞼や目頭周囲の形
- 涙点や涙液排泄路の形態
- 眼表面に接触する被毛
- 涙を眼表面に保持する機能
などが関係します。
また、白色や薄い色の被毛では、同じ程度の流涙でも変色が目立ちやすくなります。
「この犬種だから涙やけは仕方がない」と決めつけず、治療可能な原因がないか確認することが大切です。
犬の涙やけはいつ病院へ行く?
「急に変化した」「眼を痛がっている」「片目だけ」という場合は、涙やけより眼疾患を優先して考えます。
| 症状 | 受診の目安 |
|---|---|
|
目を開けにくそう・強くしょぼしょぼする 頻繁に目をこする 突然片目だけ涙が増えた 角膜が白・青っぽく濁っている 強い充血がある 眼をぶつけた、異物が入った可能性がある |
できるだけ早く受診 角膜潰瘍、異物、緑内障、ぶどう膜炎などを除外する必要があります。 |
|
以前より明らかに涙が増えた 片目だけ流涙が続いている 黄色・緑色の目ヤニが増えた 涙で濡れた皮膚が赤くなった |
早めに動物病院へ相談 炎症や涙液排泄路などに異常がないか確認します。 |
|
以前から両目に涙やけがある 眼を痛がらず、元気・食欲も普段通り |
緊急性は高くない場合が多いものの、一度原因評価をおすすめします 涙点、鼻涙管、被毛、眼瞼、涙液保持機能などを確認します。 |
片目だけ急に涙が増えたら?
早めの受診をおすすめします。
以前から両目に涙やけがある場合とは異なり、突然片目だけ流涙が始まった場合には、その眼に新しい異常が起きている可能性があります。
特に、眼をしょぼしょぼする、開けにくそうにする、頻繁にこするといった症状を伴う場合には、早めに診察を受けてください。
涙そのものが赤い・ピンク色なら?
単なる涙やけとは別の問題として受診してください。
一般的な涙やけでは、赤茶色になるのは眼の周囲の被毛です。
涙液そのものが赤色やピンク色に見える、血液が混じっているように見える場合には、別の異常を評価する必要があります。
まとめ|犬の涙やけでは「なぜ涙があふれるのか」を考える
犬の流涙症は、
- 涙液の産生量が増えている
- 涙液を排出する経路に異常がある
- 眼表面で涙を保持する機能が低下している
という3方向から考えることができます。
最初に行うべきことは、治療可能な原因を探し、その原因に対応することです。
一方、すべての流涙症が単純ではありません。
子犬の軽度な眼瞼内反のように、成長とともに自然に改善するケースがあります。
科学的な因果関係は確立されていないものの、フード変更と同じ時期に明らかに改善する犬を臨床で経験することもあります。
そして、十分に評価・治療しても流涙が改善しない犬もいます。
そのような持続性流涙に対して、第三眼瞼腺組織を部分的に切除する新しい外科的アプローチも報告されています。
102頭の後ろ向き技術報告では、多くの犬で術後の改善が観察されました。
さらに、それ以前から手術を受けた犬についての長期的な臨床経験や診療録も存在します。
ただし、公表された研究データと、臨床経験として蓄積された情報は同じものではありません。
また、この手術は現在のところ、有効性や長期安全性が確立した標準治療ではありません。
そして新しい外科手術では、論文に書かれた術式を読むことだけでなく、症例選択、組織の見極め、切除範囲、術後管理など、経験豊富な術者から学ぶ臨床的な判断も重要です。
大切なのは、「研究として何が証明されているか」「実際の臨床では何が観察されているか」「その治療を誰がどのような経験のもとで行うのか」「この犬と飼い主にとって何が負担なのか」を分けて考えることです。
千歳船橋あむ動物病院 院長
村田 結皆先生
関連記事
犬の涙やけでは、フードを変更した後に改善する症例を実際の診療で経験する一方、「特定のフードに変えれば治る」「グレインフリーなら改善する」といった因果関係は、現在の獣医学では確立されていません。
食物アレルギーとの関係、除去食試験、グレインフリー、人工添加物、フード変更で改善する犬についての臨床経験などは、以下の記事で詳しく解説しています。
参考情報・参考文献
- 寺門邦彦:流涙症,犬の治療ガイド2020 私はこうしている,辻本 元,小山秀一,大草 潔,中村篤史編,第1版,639-641,エデュワードプレス,東京(2020)
-
Murata Y, Tanabe H. Description of partial excision of third eyelid gland tissue on the bulbar aspect of the T-shaped cartilage and postoperative observations in 102 dogs: a retrospective technical report. Version 1.0. 2026. ※未査読
-
駒沢どうぶつ病院:涙やけ治療に関する技術報告について

